クリスティアン・ボルフ『ニクラス・ルーマン入門』(新泉社)

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書評

わたしはルーマン研究者でも何でもないのですが、まれに「ルーマンを読んでみたいんですけど、オススメの本はありますか?」と質問されることがあります。

そのたび「そんなものはない」とか、あえて言うなら、本人の書いたものなら『権力』、解説書ならクニール&ナセヒの『ルーマン 社会システム理論』と答えてきました。でも、これも結構わかりにくい。

そんなところで、このボルフの『ニクラス・ルーマン入門』。これが今後のオススメになりそうです。

そもそもなぜルーマンはわかりにくいのか

いろいろと理由はあります。

「物事を順序だてて説明しない」「自分の理論が主張していることを、自分の理論自身にも適用できるようにする」といった構造的な理由もありますが、最大の原因はルーマンが文章を書くのが下手だからです。

たとえば、ルーマンは途中で疑問を提出しておいてそれを長期間放置しておく、というようなことを平気でやります。何百ページか後に答えが乗っていたりしますし、そもそも答えがない場合もあります。

また、本人は抽象的な話ばかりしているという自覚があるので、たまには具体例を提示してくれるのですが、これがまたかなりわかりにくい。奇妙な例が出てくるので、読者は余計に混乱してしまう。

もうひとつあげると、ルーマンが用いる言葉の難しさがあるでしょう。

たとえば「意味」「自己言及」「複雑性」「メディア」「形式」「再参入」そして「オートポイエーシス」などです。

これらの用語は、ルーマンが最初に創案したわけではありませんが、幅広い分野の知識をもとに、ルーマンなりの解釈を加えてアレンジされているものばかり。

つまり、「どういうアレンジが加わっているか」を読み手が考慮できずに、オリジナルの、あるいはスタンダードな意味でルーマンの文章を解釈しようとすると、誤解が生じやすい。

円形に書かれたものを線形に書きなおす

翻訳は「横に書かれたものを縦に書き直す」作業だと言われます。

とすると、この本は「ルーマンが円形で書いたものを線形に書き直した翻訳」といってよいかもしれません。ひとまとまりになっているルーマンの理論をパーツごとに分解し、パーツがどんな機能を果たしているか、順序良く説明しているからです。

これまでルーマンの入門書といえば、ルーマンの意思を尊重して、「円形のものを円形のまま説明する」(難しいものは難しいまま記述する)というスタイルに引きずられていたように感じます。

ですが、この本はそのあたりを思い切って要約している。入門書なのですから、難しいものを難しいまま書いても仕方ないのです。だからできるだけ簡単にする、というわけです。

当たり前のことなのですが、これまでの類書は、ルーマンを大事にしすぎたからか、それを避けてきたように思います。

「わかりやすさ」という点では類書のなかでもナンバーワンです。特にフーコーの権力観との比較は、『監獄の誕生』を読んでいるであろう一般的な社会学の学生にとっては、ちょうどよい入り口です。

ルーマンを読む意味

海外の事情には疎いのですが、日本の社会学会周辺をざっと見わたす限り、ルーマンは時代遅れの遺物といえるでしょう。なかったことにされつつあるようにも思えます。

そもそも「社会学の進展には一般理論が必要だ」というのがルーマンの主張でした。ですが、社会学は一般理論を欠いたまま、活動を続けることができています。一般理論などなくても、何も問題はないかのようです。

いまはフィールドワークとエスノグラフィを重視し、統計調査でエビデンスを演出しつつ、マイノリティに寄り添った結論を産出する研究がウケています。研究者はそれをやっていれば安全だ(逆に一般理論家ではメシは食えない)、という事情があるのでしょう。

ルーマンの理論には、このような分野の研究者にとっては都合の悪いことがたくさん書かれています。強固な反論です。なので、いちいちルーマンに論駁するよりも無視したほうが、この分野の研究者にとっては賢明なのです。

また、キャッチーなことをいってたくさんのいいねをゲットしたいとか、ポリティカル・コレクトネスに即した安全なことばかりつぶやいて、常にたくさんの人から応援されたい、というような人にもルーマンは基本的に向きません。

ならば、いま、ルーマンを読む意味がどこにあるか。たしかに、既存の社会学理論の矛盾を暴くだけなら、「皮肉屋」「性格の悪い人」「冷笑系」で片づけられてしまいます。それで終わらない何かを読み取れるかどうか、そこから何を言えるかが、問われているのだと思います。

包摂/排除という問題

ボルフの入門書は、興味深い視点を提示しています。ここでは二つだけ紹介します。

ひとつはルーマンが用いた「包摂/排除」という区別について。これは社会全体が、包摂と排除という形式によって動くことで、社会の中で起こるさまざまな出来事がその影響を受ける、ということを示唆しています。

これは、現代社会では、人はどこかの共同体、制度、そして人間関係など、コミュニケーションに包摂されるか、それとも排除されるかが重要になる社会である、ということです。

ひとつのものから排除された人は、他のものからも排除されやすくなる傾向がある。たとえば、住所(戸籍)がなければ学校に通えず、仕事に就きにくいという状況があります。

これを運転免許、学歴、資格、正社員としての就業経験……などに置き換えてもよいでしょう。どこかで包摂されないことが、排除の連鎖を生み出すわけです。

現代社会では、人はどこかで包摂される。それはいま・ここではない。わたしはあなたを包摂しないが、とにかく理論上は、どこかで包摂されるはずだ。

上のようなポリティカルにはコレクトでしかない立派な主張から受け取る、生身の人間のもやもやを、ルーマンは言語化してくれています。そのうえで、この問題について考える道筋を、この本は示しています。

ボルフの本は、従来の入門書がルーマンの理論の中でも「オートポイエーシス」や「自己言及」、「複雑性」などの解説に傾倒しがちだったのに対し、現代に生きる私たちの生活実感や、目の当たりにしている社会問題に触れているルーマンの研究成果を、取り上げてくれているのです。

これが本書をオススメする理由のひとつです。従来の解説書にはない、ルーマンの別の顔が見えてくることでしょう。

ルーマンの理論を使っていこう

もうひとつは、ルーマンの志を引き継いで、想像力を働かせ、理論を発展させようというメッセージを、この本が明確に発信していることです。

ボルフは「ルーマンのシステム理論を、残された状態のままに保つべき不変の、ミイラ化した代物のように扱うのはやめよう」といっています。

それと同時に、ルーマンの理論が見ていないこと、説明しきれないことも、この本は指摘しています。

現時点では最良の入門書だとわたしは思います。