【書評】盛山和夫『社会学の方法的立場』東京大学出版会

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書評

社会学者・盛山和夫(もりやまではなく、せいやま)の理論社会学に関する論考集。ちなみに、盛山和夫といえば『社会調査法入門』 (有斐閣ブックス)が有名なので、社会学専攻の学生からは「計量・数理社会学のせんせい」というイメージがつよいかもしれない。

盛山によれば、科学は「認識者の外に事実として存在する」客観的真実を探求する営みである。そして社会科学も例外ではなく、客観的な真実を探求しなければならない。ただし、社会科学には社会科学に特有の事情があり、自然科学のようにすっきりとうまくはいかない。うまくいかない理由は社会の反照性にある。この反照性の問題と向き合いながら客観性を目指していかねばならない……というのが、本書の題名にもなっている「社会学の方法的立場」である。

ここで少し用語を確認しておこう。「反照性」とは耳慣れない言葉だが、“日本国内の”社会学では普通は「再帰性」という言葉で言い表される。反照性(再帰性)という言葉の意味をひとことで表すとわかりにくくなるので、ここでは3つの段階(と過程)に分けて説明する。

1.社会学(者)は社会の外には存在できない。社会学(者)は社会の中で認識し観察する。
2.したがって、社会学(者)による認識と観察は、その研究対象である社会を変化させる。
3.社会が変化することによって、社会学(者)による認識と観察も、更新を迫られる。

以上の1-2-3がおおよそ「反照性」という言葉で説明できるメカニズムだが、これを考慮すれば、「認識者の外に事実として存在する客観的事実」を捉えることが社会学には非常に困難である(というか、おそらく不可能である)という仮定が導き出される。

※ちなみに盛山が日本の社会学で一般的に用いられる「再帰」ではなく「反照」を用いたのは、数学用語(再帰、recursive)との混同を避けるのと、本来、ギデンズらが「reflexive」という言葉を用いてるのに「再帰」という訳語をあてるのはどうなのか、という不満の表明であろう……自分もつい「再帰」と言ってしまうが「反照」のほうが適切だと思う。

閑話休題。つまり以上のことをまじめに受け止めると、「社会学って科学としては終わってんじゃないの? 無駄なことやってないで解散!」という感想が当然思い浮かぶわけで、私もそのように考えているのだが、盛山ら社会学者はそこで終わるわけにはいかない。いかにして社会科学が客観性を獲得できるか、その方法論をつくりあげていかねばならないのである。

というわけで、「認識される対象に認識が影響を与えてしまうので、認識もそれに応じて変化していかねばならない」という反照性=社会科学固有の客観性問題に対して歴代の現在の社会学(者)たちがどのように取り組み、社会学の方法(論)を鍛え上げてきたか、そしていまだに解決されない課題はどこにあるのかということが語られるのがこの本である。ヴェーバー、デュルケーム、バーガー、ギデンズ(そしてルーマン)など、おなじみのそうそうたる名前が並び、彼らの方法論や業績が紹介されている。

特に印象に残ったのはアルフレッド・シュッツに関して書かれた章。シュッツ本人の論文は難解だが、この本では盛山の手でわかりやすくまとめられていて非常に良かった。ただ、たとえばルーマンについての批判などはちょっと的外れというか私怨めいたところがある(※追記しました)ので、盛山による歴代の社会学者の理論や思想についての説明がすべて的を射ているかどうかは謎。

まあクリプキのウィトゲンシュタインという例もあることだしいいか。

【評価】
★★★★☆

【こんな人にオススメ】
・社会学という学問に怪しさを感じている人
・むしろ社会学は死んでいるのではないかと疑っている人
・(それでも)社会学について学ぶつもりがある人

【わたしのホンネ】
社会学のガイドブックとしては超良書だが個々の著者の理論に関しては怪しいところもありそうなので★-1

盛山和夫はサンデル教授の「白熱教室」でおなじみの、リベラル・コミュニタリアン論争について書かれた本も書いている。こちらもおススメ。