【読書メモ】『GLU ニクラス・ルーマン社会システム理論用語集』①

ニクラス・ルーマンの『近代の観察』を読むにあたって、「作動/観察」の区別と「自己言及」について、再整理。

▼ざっくりまとめると……

1.オートポイエティックなシステムは自己の要素を再生産する(「作動」する)
2.「観察」は意味構成システムに固有の作動の形態であり、情報を獲得するために用いられる
3.自己言及が可能になるのは、何か他のものが存在する場合のみである。自己言及はその「他のもの」から区別されえねばならない。要するに「他者言及」が必要である。

オートポエティックなシステムは自己と自己に含まれる要素(システムとシステムの要素)とを生み出すのと同時に、自己には含まれない要素(環境)をも生み出しているといえる。
上記のような認識は社会構成主義に帰結する。

●作動/観察

・「作動」とはオートポイエティックなシステムの要素を同一システムの要素によって再生産することである
・「観察」とは、区別を用いて、その区別のいずれか一方を指し示す、そういう特別な作動様式である

→観察は作動の一形態であるが、特殊な(=意味構成システムに固有の)作動の形態であるので、作動と観察を区別する(「作動/観察」)

・あらゆる観察は、特定の区別を用いるが、それによって、さまざまな区別のネットワークを構築し、それを用いて構築されるものに関する情報を獲得することもできるようになる。

・最初の区別は、観察を可能にする条件であると同時に、観察を制限する条件でもある。区別なしに観察はできないが、いかなる区別も、その区別が観察可能にするものだけを観察可能にするだけだからである。

・観察もまた、それ自体はシステムの作動であり、作動としては自己の再生産に対してやはり盲目的である。すなわち、最初の区別は盲点、つまり観察できない点である。

・観察の特別なケースが自己観察である。つまり観察が、観察されるシステム自身の作動であり、そのシステムのオートポイエーシスに関与しているという場合である〜自己観察という作動は、その作動自身も属しているあるもの(その作動自身が関与しているシステムの他の作動)を観察する、そうした作動である。

「区別が指し示されたものについて情報を獲得するために利用される場合には、言及することは観察になる」

●自己言及

・自己言及が存するのは、観察によって指し示されるもののなかに(自己の)観察という作動が含まれているとき、つまり、そういう作動が自己自身を含む何かを指し示すときである。

・自己言及的に構成されたシステムは、そのシステムに属するもの(自己の作動)を、その環境に帰せられるものから区別できなければならない。

→自己言及は情報価値を持たなければならない。A=Aというトートロジーは回避されねばならない。A=Aという自己言及が行われる場合、それはA=A≠Bを伴っている。つまり「AはAである、Bではない」ということになる。

・この指し示しは、自己自身に関係するものを他の何かから区別することを可能にする差異に基づいてのみ遂行されうる。