【読書メモ】「コミュニケーション」について③『社会システム理論(上)』

今回は、2つのことについて触れる。

 

まず、コミュニケーションが成立すると、受け手の状態が変化する、ということを簡単に述べておく。

言い換えると、理解が起こった場合には、理解した人の状態は、理解する前とは変化している。

「タバコ、アルコール、バター、冷凍肉などは健康を損ねる」ということを読んで理解すると、(そのことを知って気にならざるをえない者として)〜その点で今までとは違う人間になる。-p.231

さらに、情報を理解した後では、それを信用する(受容)か、信用しない(拒否)か、という問題が生じる。この「受容」と「拒否」の選択過程が、さらなるコミュニケーション(情報・伝達・理解)の接続の条件を規定する。

ゲーム理論を思い浮かべてみると、情報(の理解)が人の状態を変化させる、ということは、わかりやすいだろう。

 

次に、こちらのほうが重要な問題である。

前回触れた「解釈の自由」と関連するが、コミュニケーションは、どこまでいっても選択的なものでありうる。発信者がどれだけ正確に伝えようとしても、受け手によって別様に受け取られる可能性を完全に排除することはできない。

どんなコミュニケーションにおいても、送り手の伝達が送り手の思いどおりにならない可能性がある。-p.237

 

送り手側に伝達しようとする意図がなくても、情報と伝達との差異を観察することに受け手たる自我が成功する場合、たしかにコミュニケーションが可能である〜たとえば微笑みによって、問いかけの眼差しによって、服装によって、またまったく一般的にかつ典型的には、おなじみのことがらと想定されうる期待からの逸脱によって、コミュニケーションが可能なのである。-p.237

授業中に目があっただけで「あのコ、もしかして俺に気があるかも?」という理解や、食事でワリカンを持ちかけられただけで「私、相手からちゃんと扱われていない!」という理解が、生じることがある。つまりコミュニケーションが起こる可能性がある。

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「微笑み」「眼差し」や「規定されうる期待からの逸脱」が、情報の伝達として受け手によって理解される=コミュニケーションが起こると、受け手の状態が変化し、その後につづく行為の選択(受容/拒否)に影響を与える。

男は目のあった女の子にアプローチすることもできるし、しないこともできる。また、女はワリカンを提案してきた男を見限って別れることもできるし、Twitterや発言小町でグチを投稿することも可能である。選ばれた行為に、コミュニケーションが再び接続していく。

いずれにせよ、ルーマンがいうとおり「送り手の伝達が送り手の思い通りにならない可能性がある」=誤解の可能性があるのだとすれば、それにも関わらず、いったいなぜ社会が誤解で満ち溢れないのか、という疑問が生じる。原理的には「解釈の自由」が存在するにも関わらず、「解釈の自由」がありのままの自由度で観察されることは、ない。

この問題に関しては、ルーマンは言語を用いてコミュニケーションを行なうことで、理解の可能性が限定される、ということを主張している。また、情報が正しく理解されているのか、それとも誤って理解されているのか、コミュニケーションは期待通り進んでいるのかということを、言語を用いたコミュニケーションによって確認することもできる。

しかし、そうだとしても、思いどおりにならない可能性は排除しきれない。コミュニケーションでできている社会は、そのような「ズレ」をはらんだものなのである。