【読書メモ】「コミュニケーション」について②『社会システム理論(上)』

前回の続き。

「社会がコミュニケーションでできている」のだとすれば、コミュニケーションを解明することによって、社会の特徴が見えてくる。

そこでルーマンは「コミュニケーションとは何か」の分析を進めていく。

通常、コミュニケーション概念については、「移転」のメタファーが用いられている。コミュニケーションがニュースないし情報を送り手から受け手へと移転させていると言われている。われわれはこのメタファーを使わないで済ませることにしたい。−p.217

 

移転メタファーは役に立たない。〜それによると、送り手が、何かを受け手に渡して、それを受け手が受け取っているとする印象が与えられる。このことからしてすでに事実に合わない。-p.218

通常、コミュニケーションは、「送り手が・何かしらの情報を、受け手に対して・送り届ける」ものと見なされている。これが「移転メタファー」である。要するに移転メタファーでは、コミュニケーションは、宅急便で荷物を送るように、箱にものを詰めて、宛先を書いて、送るようなものとして考えられているのだが、これではダメです、とルーマンはいう。

さらにこの移転メタファーは、「移転される」ものの同一性を誇張している。そうしたメタファーを用いると、移転される情報は送り手と受け手にとって同一であると考えるようにそそのかされてしまう。-p.218

つまり、上述した宅急便の喩えを使って考えると、箱の中身は同一だと考えてしまいがちである。受け手は送り手が送ったものを受け取る、というわけだ。しかし、宅急便の場合とはちがって、コミュニケーションでは、箱に入っているものの中身が違っている場合がある(ので、移転メタファーは合わない)ということを、ルーマンは指摘している。これは、お願い、お世辞、皮肉などが、相手にうまく伝わらなかった場合を、思い浮かべてほしい。

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「そういう思いで申し上げたのではない」

 

伝達活動は、なんらかの選択の提示、つまりなんらかの提案の提示以外のなにものでもない。この提示された提案が受け手に受け止められ、つまりこうした提案の提示が受け手によって処理されてはじめて、コミュニケーションが成立するのである。-p.218

 

意味概念から出発すると、まず第一にコミュニケーションがつねに選択的な出来事であることが明らかになる〜コミュニケーションは〜選択の処理過程にほかならない。-p.219

箱に何が入っているのかは、複数の可能性がある。その複数の可能性の中から何かを選択し、可能性を(一時的なものであれ)現実として確定するのは、送り手ではなく、受け手なのだ。まずは受け手が確定させてはじめて、コミュニケーションが成立する。

このような、選択と確定という事態をうまく捉えることができるコミュニケーション概念の再構築が、必要になるわけだ。移転メタファーが役に立たないことは、たったこれだけの説明でも、わかるはずだ。なので、もう「箱」とはいいません。

というわけで、「受け手」とか「送り手」という言葉の使用も、実はあまり適切とはいえないのだが。

ルーマンはコミュニケーションにおける受け手の役割を深刻に見ている。そこで、従来の移転メタファーが用いていた「情報・伝達」ではなく、「情報・伝達・理解」という3つの総合として、コミュニケーションを捉えることを提案する。ルーマンによれば、受け手が理解することが、コミュニケーションが成立するための不可欠の要素である。

コミュニケーションは、理解が成立したばあいに、またそうした場合にかぎって実現される。-p.230

さて、コミュニケーションを「情報・伝達・理解」という3つの選択の総合であると見なし、そしてまた「受け手」が行なう「理解」こそが、コミュニケーションをコミュニケーション足らしめる決定的な要素であるという仮定に立つと、「受け手」こそが最重要である、ということがいえるかもしれない。

原理的には、送り手が何を表現したのであろうと、それを確定させるのは受け手なのだから、決定権は受け手にある。僕はこうした状況をわかりやすく説明するために、コミュニケーションには「解釈の自由」が(原理的には)ある、ということにしている。

もちろん、わかりやすさには落とし穴があり、これを使うことによって見えなくなるもの、まちがって見えてしまうものもあるのだけれど。

さておき、「解釈の自由」という概念を用いると、次のようなことに、敏感になることができる。

コミュニケーションにおいては、Aが表現した(とBが思いこんだ)ものに、Bが(ある程度までは)勝手に何かを付け足したり、引いたり、変換したりすることが可能である。だとすれば、Aが「情報」を「伝達」したとBが「理解」したとき、つまりコミュニケーションが起こったときには、単なる移動やコピペではないことが、起こっている可能性がある。極端な話、ほとんど何もないようなところから、たくさんのものが生まれる可能性さえある。

コミュニケーションをこうしたものであると捉えると、そのコミュニケーションの連鎖によって生み出されている社会では、個人の集合という計算のしかたでは説明できないことが起こるといえる。

さらに続く。