【書評】オヴィディウス『変身物語』上・下(岩波文庫)

ギリシア神話は個々のエピソードにおもしろい話がたくさんあるが、ギリシア神話について書かれた本には残念ながらハズレも多い。というのは、ギリシア神話はきっちり体系化・組織化されているためか、本も体系化・組織化されたマニュアルみたいな本が量産されているからである。

こうした本は冒頭から読みはじめると、「天と地が結婚してクロノスがうんたら、ティターン神族がかんたら」などという話がえんえんと続く。神様の名前が次々と出て来る。そのうち意味がわからなくなってくる。物語が盛り上がる前に投げ出すということもあるだろう。

そこで、この『変身物語』。この本は誰もが夢中になれる「楽しい」神話の本だ。神々の名前がひたすら列挙されるようなスタイルではなく、ごく少数の登場人物が登場する印象的で短いエピソードが続くので、どこから読み始めてもいいし、いつでもすぐに中断できるのがイイ。

著者のオヴィディウスは紀元前43年に生まれ、後18年に没している。ローマ時代の詩人だから、登場する神々の名前はゼウス→ユピテル、ヘラ→ジュノーなど、ラテン名に入れ替わっているものの、ストーリーはギリシア神話を踏襲している。

物語のモチーフは「変身」(Metamorphoses, メタモルポーシス)で、神様が変身する話や人間が変身する話ばかりが集められている。

たとえば、自己愛が高じた人のことを「ナルシスト」と呼ぶが、その元ネタである『ナルキッソスとエコー』(ナルキッソスは神に呪いをかけられて、水面に映った自分自身だけを愛するようになり、やがてかなえられないその愛への渇望からやせ衰え、命を落とす)の話では、ナルキッソスは最後に黄色い水仙へと姿を変える。

また、女性を人形のように扱う男性の性癖を「ピグマリオン・コンプレックス」と呼ぶが、やはりその元ネタである『ピュグマリオン』(現実の女性に嫌気がさし独身生活を続けていた芸術家ピグマリオンが、自分がつくりあげた彫像に恋をする)の話では、女神が芸術家の願いを叶えて人形に命を吹き込み、人間へと変身する。

現代では、ナルキッソスもピュグマリオンもネガティブに捉えられることが多い。ナルシズムは笑い話やいけ好かない奴として、ピグマリオン・コンプレックスは犯罪につながるものとして理解されている。バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を映画した、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』は、フェミニズムの観点から批判されている。

現代ではそういうふうに解釈されてしまう理由は理解できるのだが、少なくともオヴィディウスが表現した最初のものは、素直に感動できると私は思う。必要最小限の骨組みに、わずかな(だけど見事な)付けたしをしただけの「物語の原型」が、この本の中には数多く残っている。それはまだ社会の手垢にまみれていない。国家的な争いともあまり関わりがない(物語の最後はローマを称える内容なので政治と無縁なわけではないが)が、それゆえに我々の心の奥深い場所に突き刺さるのだ。

先日紹介したケン・リュウの『紙の動物園』も、こうしたプリミティブなテーマを扱っていることが、共感できる理由だと思う。ゴテゴテとした設定がたくさんある小説もそれはそれでおもしろいが、こういうシンプルな物語もたまにはよい。というか、ギリシア神話という設定だらけの体系を「変身」という切り口でシンプルに料理したオヴィディウスの手腕はすごいな。

【評価】
★★★★★

【こんな人にオススメ】
・ギリシア神話に興味がある人
・ギリシア神話の本を放り出している人
・小説を書きたい人(元ネタになりそうな話が多い)

※この本に出てくるギリシア神話の神々についてもう少し詳しく知りたかったらこの本があると捗る。

【わたしのホンネ】
・読み込んでボロボロになってるので書い足しを検討中