(共同通信)
全国学力テストの市町村別、学校別結果の開示を求めた鳥取県情報公開審議会の答申を受け、県教育委員会は11日、臨時委員会で協議し、2007年度分の非開示を異例の多数決で再び決定。08年度分も非開示とし、来年度以降は今後検討することを決めた。
開示が決まれば全国初だったが、競争をあおり、序列化につながるという市町村教委などの反発を受けた形。県情報公開条例は、県独自のテストを想定し、全県的な学力調査の結果は10人以下の学級を除き情報開示するよう定めているが、この条例を基に判断した答申には従わず教育的配慮を重視した結論になった。
臨時委員会では、中永広樹県教育長が「県条例を踏まえるべきで、非開示にすれば法治国家としての根底が崩れる」と開示へ理解を求めたが、委員からは「競争が激しくなり、学校現場が混乱する」「答申に従うのがルールだろうが、答申は教育論を理解していない」などと反対意見が続出。
「競争をあおり、序列化につながる」という主張は一見もっともらしいが、このように競争が悪いことであると否定しておけばとりあえず許される、みたいな風潮には注意しておいたほうがイイだろう。
現実的な問題として、競争、序列化、格差はすでに存在している。競争に打ち勝たなければ上に行けないということを踏まえたうえで、その競争の中でも生きていくことができる人間を作り出していくのが、教育の役割ではないのだろうかと私は考える。
教育委員や(公立)学校の教師などといった人間は、ある意味で「人生あがり」の勝ち組である。大学に進み、そこで教師になるための勉強をし、裏金を渡して倍率の高い試験で合格し、汚い手段を駆使することでいくつかの競争を勝ち抜いてきたからこそ今のポジションがあるわけで、そういう人間たちが「いや、競争はよくないよ」と語りはじめるとき、われわれは用心しなければならない。
格差社会のあり方に関しては、日本には米国のような流動性が無いなどと、硬直化していることが指摘され問題視されている。この硬直化というのをわかりやすく説明すると、勝ち組は常に勝ち続け、負け組は負け続ける。勝ち組の子は勝ち組であり、負け組の子は負け組のままである、ということになる。(実際に、米国が負け組からでも逆転できる社会であるかどうか私は知らないけれど、世間一般でいわれていることによるとそうらしい)
日本社会がもっているこのような硬直性は、どこから生まれるのか。考えてみれば、競争を勝ち抜き、その恩恵に預かっている人たちが「競争はよくない」と主張しているのは、何ともおかしな光景ではなかろうか。競争をするからこそ、負け組でも勝ち組になれるのである。「競争はよくない」と主張する輩は、本当はこの世に競争があること、そこで勝たねばならないことを知っているはずだ。だが、競争はさも存在していないかのように語り、大衆を欺こうとしている。
ゲームの参加者に「これは本当は真剣勝負なんだ」と報せなければ、自分が勝てる確率はぐっと高くなる。

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