いわゆる、人のふり見て我がふり直せってやつ

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佐藤優の『国家の罠』に連合赤軍絡みのエピソードがあった。それが気になって、共産主義とかその周辺の話題、用語についていろいろとググり、あちこち見てまわっているうちに、興味深い記事にたどり着いた。

言葉に乱れなどないとうそぶく人が、まず真っ先に言葉の乱れを言い始める
ハックルベリーに会いに行く(aureliano氏)

こういう記事を読むと「ああ、俺って普段から言葉をテキトーに使っていてゴメンナサイ」と、とりあえず土下座でもしておこうというよりマジ鬱だ死のう的な気分にさせられるのですが。それはさておき。

このブログのエントリをいくつか読んでみたところ、このブログの作者は論客としてはうるさいので「あんまり敵に回したくないなー」と直感したというのが正直な感想なのだけれど、それでもまあ、上に引用したエントリについては、個人的にはまったく肯定しかねる部分もあったので、備忘録的な意味でもここに書き残しておこうと。

これより先を読み進んでいただく前に、しばらく前に各方面で話題になった「日本語の乱れ」の問題について、おさらいをしていただければ幸いです。面倒くさければ飛ばしてください。

・文化庁:平成19年度「国語に関する世論調査」の結果
・msn産経ニュース:足元をすくわれる? 7割が誤用と世論調査
・タケルンバ卿日記:言葉に乱れなんてない

要するに、今回話題にする「言葉に乱れなどないとうそぶく人が~」という記事は、文化庁の世論調査の結果を受けて書かれた「言葉に乱れなんてない」という記事に対するトラックバックなのだけれども。まずは、ちょっと引用させていただきます。



>この人は、「『正しい日本語』とか『言葉の乱れ』なんてねえよ」と言う。

>これは単純に誤りだ。ものを知らないだけだ。井の中の蛙が、世界の広さを語るのと同種の無知だ。
>しかしこれに関しては、ぼくは単純にその無知を責めることはできない。なぜなら、彼はきっと正しい言葉というものを知らされずに育ったのだろうからだ。

>それは、ファーストフードだけで育てられた子供と似ている。そういう子供は、「ご飯なんてお腹に入れば一緒」とうそぶく。「ご飯に美味しいもまずいもない」と言う。それとそっくりだ。

>そういう人を、ぼくは責めることができない。ただ可哀想に思うだけだ。

(aureliano氏の文章より)

何様のつもりですか、というツッコミは置いておくとしても、気になるところは多い。たとえば「ファーストフードだけで育てられた子どもが『ご飯なんてお腹に入れば一緒とうそぶく』。『ご飯に美味しいもまずいもない』と言う。それとそっくりだ。」と論じていますが、そのソースが明らかになっていないので、これが作者の希望的観測に過ぎないのか、それとも事実なのかがわからない。実際に私は「ファーストフードだけで育てられた子ども」を見たことがないし、見たことがあるとしてもそうだと認識しながら接触したことはないし、さらに「ファーストフードだけで育てられた子ども」に関する統計を見たこともないので、なんともいえません。たぶん私がその所在を知らないだけで、そういうデータがこの世に存在しているのかもしれません。

件のブログ記事は、一見もっともらしい文章ですが、事実に基づかない断言や乱暴なレッテル貼りが多く、落ち着いて読むと説得力に乏しい。そこから読み取れるのは「自分はより正しいほうの側に所属しており、相手は間違っているか、自分より劣っている」ということを主張したいんだろうな、ということ。それが「井の中の蛙」なんて挑発的な文言あたりに露骨に表現されいて、嫌らしい感じにおもしろい。ていねいな文体の割に尊大さが隠しきれていないというか、むしろ隠そうともしていない無礼さに嫌悪感。まあ毒にも薬にもならないよりは、嫌悪できるくらいのほうが読む価値はあるのでイイんですが。

人々の言葉が乱れたり、言葉を間違って使ったりするのは、ファストフードばかりを食べて育った=低次の言語環境の中で育ったからというよりも、「正しさを求める」ということに対する意識の低さから生まれるんじゃないかなあと私は思っているので、個人が間違って認識していることそれ自体や、間違った認識を正当化しようとすることよりも、間違いに気がつかないことのほうが問題であるような。

これはつまり、言葉の意味を間違えて使ってしまうということは、正しくないかもしれない知識や情報を、それが事実だと確認せずに勝手に正しいと思いこんだまま、それに基づいて自分の意見を表明できるということ。さらには、そういうことをしても「平気でいられる」ということに問題がある。このような「無責任さ」は、厳密な正しさを求められないような環境に"今も"身を置いていることから生まれるのではないでしょうか。他人から間違いを指摘されたり、自分から「コレで良いのか」と辞書引きして確かめてみたりという、間違いに気がつく機会が少なくなっているのではないか、と感じます。

誰かが知らない言葉を使っても「それってどういう意味?」って質問する人は少ないし、誰かが間違った言葉を使った際も、空気を読んでくれているのか「それって間違ってるよ」なんて注意せずにスルーしちゃうし。さらに、「間違ってるよ」と他人から指摘されたところで、キレる人もいたりします。確かに面倒くさいもの。

このあたりの無責任さ、あるいは不誠実さというものは、大なり小なり、ほとんどの人間が何らかの分野で備えている悪徳でしょう。言葉の正しさにはこだわるけれど、文章や理論の組み立て、その内容が誠実であるかどうかにはこだわらない、という人は案外多そうです。その点、aureliano氏の文章からも本質的には邪悪な意図が感じ取れるので、このあたりの気持ち悪さはいったいどこから生まれるのだろうか、と考えさせられた次第。間違った言葉をあやふやなまま使いつづけるということは、根っこの部分では詭弁で相手をだまくらかしたり、自分をもっともらしいモノに見せかけようとする心性とつながっているような気がしてなりません。

佐藤優や連合赤軍とはまったく関係がないエントリで申し訳ない。

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このページは、はいね@編集長が2008年8月10日 16:39に書いたブログ記事です。

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