弁護士の小倉秀夫氏に聞く ネットでの誹謗中傷問題(中)
実名を使うのが基本 それがネットをよくしていく
と題する記事がJ-CASTニュースに掲載されています。
個人的に、オレとしてはインターネット実名制には「条件付き」で賛同の立場です。モラルの問題ではなく、以下に引用した箇所に太字で示した部分について、ネット世界の可能性を感じているからです。
小倉 匿名中心では、現実社会の地位をアップさせる手段としてネットを利用しにくくなります。実名なら損をする、匿名で発言しないと危ないようなら、そうしたインセンティブがなくなるからです。発言によって社会的な評価が高まる可能性がある若い人にとっては、こうした状況は損ですよね。ネットで叩いている人は気分がよいでしょうが、それ止まりです。2ちゃんねるで嫌がらせをしても、その人の地位は上がりません。また、ポジティブに評価されても、それを収穫できません。こうしたネット社会では、若くて才能ある人が才能を発揮する場を狭め、現在社会的に高い地位にいる人にとっては好都合になります。今は、モラルに反する状態が続いていますので、実名制によってネットをよくしていこうということです。
リアル世界とネット世界、このように世界を二つに分けて考えるということは、「異様な状態」であると思っています。実際にはネット世界もリアル世界の一部であり、世界は一つしかない。もちろん、日常の生活とは切り離された「異質な生活空間」は存在してもイイとは思いますが、しかし、誰かに何かを伝える、表現する、創作する、という創造的な活動において、ネット世界での名声は、やはりリアル世界でも通用して然るべきものなのではないか、今は別個に存在しているかに思える二つの世界は、もっと密接に結びついていていいのでは、そう思うからです。ネットとリアルが幸せな関係で結びつく。「実名制」がそんな未来を引き寄せる原動力になってくれれば、と願っているのです。
ネットとリアルが幸せな関係で結びつく、とはどういうことなのか。それを語るよりも先に「ネットとリアルの不実の関係」について、まだ短い期間ながらも出版ギョーカイで働いてきた人間の視点で、「ライター」と「編集者」、双方の立場から、語ってみたいと思います。
つづき
まずライターの立場から。いまやネットには、商業ベースで出版されている本や雑誌の書き手をしのぐ知識や技術を持つ、上手のモノ書きたちの文章で溢れています。ライターとしてのオレはこれらの書き手に対して嫉妬と尊敬の念を抱くとともに、自分なりのやり方で自分のスタイルを確立していこう、と尽力していきたい感じなのですが、その一方で「この文章をそのママで紙にしていいのか?」という不出来な出版物も多数存在しています。例に挙げるのは「有名人のブログの安易な書籍化」です。たいへん申し訳ないのですが、眞鍋かをりさんの公式ブログ(眞鍋かをりのココだけの話)をここでは引き合いに出してみましょう。8年くらい前には巨乳のグラドル……というか、単に骨格が太くてガタイがよかったということのような気もするのですが、とにかく抜群のスタイルで世間に知られていた眞鍋さん。今では水着から卒業して、国立大学出の知性派キャラとしての地位を固め、「ブログの女王」として君臨していますが、彼女のブログの一部が2005年にインフォバーン(情報誌「サイゾー」を出していた会社)から書籍化されました((蛇足ながら「ブログの新女王」は「しょこたん」こと中川翔子さんといわれています)。
このブログのスタイルは、眞鍋さんが私生活や芸能活動を通じて抱いた感想を書き連ねるというもの。TVの中では見ることができない一面を知ることができるのは、彼女のファンにとってはうれしいことです。オレもファンのひとりとして(グラドル時代の写真集をいくつも持ってます)このブログを楽しんだクチで、現在でもこのブログをGoogleリーダーに登録して購読しています。実際に、話題の選びかた、話の組み立てもおもしろいです(まったく退屈で刺激のない劣悪なエントリーもありますが)。ですが、ブログでタダで読めるものに対してお金を出したいか、そこまで本としてのクオリティは高いのか、と聞かれたら「そうではない」と答えます。これが中田英寿さんの公式サイト「nakata.net」に掲載されている日記を初めて書籍化したnakata.net―98‐99が出たころ(2000年)のように、インターネット環境がさほど整っておらず、テレホーダイやらISDNやらで接続していた時代のハナシなら許せますが、すでに「ブロードバンド」というコトバが95パーセント程度は死語と化していた2005年のタイミングで書籍として出版し書店に並べるということに対して、(商業面ではなく)作品としての価値があったのかと、大いに疑念がわいたものです。本は立ち読みしましたが買ってはいません。オススメではないのでアフィのリンクも貼りません。
このように、まず「有名人が書いているから」→売れやすい、という理由で、ブログが本として世に出るということ。これが、あまりおもしろくない。というか、けしからん。小説なりエッセイなり、コラムなりと、文章をウリにしている本の著者というのは、有名人だからなれるというようなモノではなく、文章書きとしてある一定のレベルに達している人間だけが、なるべきものなのだとオレは考えています。それは文体に装飾や工夫を凝らす、ということでもあります。最近では新風舎の倒産が話題になりましたが、世の中には「自分の本を出したい」という夢を持っている人、そこまでは行かなくても「あの雑誌で記事を書きたい」とか「ライターになりたい」と願っている無名の人はたくさんいて、日夜たゆまぬ努力をしてみたり、努力するフリをしてみたり、悪徳商法にひっかかったりしているワケです。自分の本を出すということは、ある人たちにとっては「夢」そのものなのです。有名人にとってはリアルでの知名度を利用できるのでネット上での活動は非常にやりやすく(炎上を避けるため発言に配慮する必要性はあるけれど)、そのため本を出すなどしてリアル社会の収益へとつなげることも容易ですが、このテのタレント本の出版というのは、無名の人が出版するチャンスを間接的にせよつぶすことにもつながります。
なぜならば、人々の注意や関心、購入に使うことができるお金、あるいは本を読むのに費やせる時間は有限だからです。また、本を扱っている書店のスペースも限られていますので、有名な本(必ずしも良書ではない)に、有名ではない本(良書もあるかもしれない)が淘汰されるという現象も起こりえます(実際に起こっています)。編集者にとっては、著名人が書いた本の企画は社内の人間を説得しやすく、出版社にとっても取次のご機嫌を損ねないというメリットがありますが(これはかなり大きな利点です)、企画制作の段階からも、有名な人の書いた本が、有名ではない人の書いた本を駆逐する、ということが行われているわけです。新しい人材を発掘する・育成するという観点からいえば、生産性などほとんどなきに等しいのではないか。苦労して企画を考えること、本を売るために真剣に努力をすること。これこそが大切なのに、目前に差し迫った効率化と収益性アップのためにそこから目を背けている制作サイドの愚行が、現在の出版文化の低迷と出版不況を助長している感は否めません。まあ、イイ本を作っていても潰れる会社は潰れるので、きっちりした本をきっちりと読む人も減っているんでしょう(蛇足ですが草思社の倒産は個人的に今年一番のバッド・ニュースです。日経平均株価が13,000円を割ったことよりもひどい)。
ハナシをネットに戻しますと、ネット上の有名人はリアル社会でも名声を得やすいのかといえば、必ずしもそうだとはいえません。たとえネット上での活動が評価され、「ブログを書籍化」することになっても、作者の名前を出すよりは「ネットで話題のあのブログが本になった!」と宣伝する方が効果的であり、その本の出典がネットであることを示すために、作者名にはハンドルネームが使われることが多い(もちろん、作者が実名の公開を嫌がることもあるでしょうが、なぜ「実名の公開を嫌がるのか」ということについて考えてみてください)。また、各方面で話題をさらった「恋空」も、作者が誰なのかを明らかにしないからこそ、いまだに「実話を元にしたフィクション」と言い張ることができ、それが故にシンパシィを集めることができている、そういう側面があるように思います。言い換えれば、ネット上の匿名性というモノは、マスコミにとっても都合がよく、保護し、利用している部分がある、ということです。
立場を変えて、今度は「編集者」の立場からモノをいわせてもらうと、「ネットでイイ文章を書いている人がいても、はたしてこの人に仕事を頼んでいいものか、どうか?」と、迷ったりもします。リアル社会において責任を持って仕事ができる人をネットから探す、そんなとき、「無責任であること」を許容するネットの匿名性は非常にジャマくさいものとなります。ネットではできてるけど、リアルではこの人本当に仕事できるの? と足踏みをしてしまうこともしばしば(ホレ込んだ場合は仕事頼んじゃいますが)。ネット上の人格には責任がないため、創作物=仕事のクオリティに対しても信用がおけない、どうしても不安だと感じてしまう。このような状況は、クリエイティブな分野で仕事をしたいという無名の誰彼にとっては、あまり好ましい状況ではないように感じます。制作集団やクリエイターへの仲介手数料で儲けている、コネクションを商売にしている広告代理店やコーディネイターにとっては、そうではないでしょうけれど。基本的には、個人がWeb上で公開した情報は、それはもっと広い方向への広がりを持ち、リアル社会でのビジネスチャンスに直接的に結びついて然るべきだ、それが理想なのだと考えています。なんだか漠然としてはいますが、これがオレの考える「ネットとリアルの幸せな結びつき」のあり方のひとつです。ま、こんなことを同じく人脈をメシのタネにしている編集者がいうのもナンだしアレなのですが。
このあたりのことを観察していくと、「リアルの立場にとらわれず自由に発言したいから、ネットは匿名のほうがいい」という、いかにも純朴な「2ちゃんねらー的」動機からだけでなく、個人が信頼に足る名声を獲得しうる場所をリアル社会に限定することによって、そこから利益を収奪したい人たち、つまり「ネットを匿名にしておきたい」勢力の思惑が見えるような気がしませんか? こうした人たちは「匿名がはびこるネットは信用がならない、信頼に値する情報は責任のあるメディアの中にしか存在しない」と論じながら、その一方で「ユーザーが率直な評価を自由に下すことができるネットで受け入れられたモノなんだから、これはとてもよいモノなのですよ」と喧伝しているわけです。ハラが立ちますね。
これ以外にもオレが「ネット実名制」を支持する、というか、ネットをポジティブな方向へと進めてくれるのではないか、と期待する理由はあるのですが、それはまた次の機会に。
※個人的には「ネット上での活動がリアル社会での利益に結びつきにくい」という現在の状況では、あまり自分の考えをブログで明らかにしたくありません。なぜならば、書くという行為によって自分の持っている知識や情報が整理され、より高い段階に進むという利点はあるけれども、その反面、誰かに話すなり、文章にするなりによって、自分の思想を公にすることで「大事な部分が消えてしまう」(アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』)と感じているからです。ブログでの活躍によっては社会的な上昇が望めず、あるいは金銭という対価を得ることも難しいとしたら、そのような場所で「大事な部分」を失いながらも自己を表現するという行為に、いったいどれほどの値打ちがあるのでしょうか。今後、こういった重めのトピックについておれがまじめに言及をすることはかなり少なくなるでしょう。『モノゴト・ジェイ・ピー』ではもっと別の、ライトなコンテンツを見せ方にこだわって提供することで、読者の皆さんに楽しんでもらいたい、そんなふうに考えています。
インターネットの世界で起こっている「広告の革命」。
その最前線(かどうかは分からないが少なくとも前線)に身を置いている
現役のネット広告ギョーカイの関係者なり重鎮と目される人が
新時代の広告技術の現在と未来について大いに語ってくれている本。
今回論じた内容とは直接的な関わりはありませんが、
SNSやブログを活用した口コミマーケティング
あるいは炎上といったネット時代の問題点に関する言及は
インターネット上でもある種の「モラル」がなければ
信頼関係=ビジネスは成立しえないということ
そんなことを感じさせてくれました。
広告ビジネスに興味がなくても、これまで広告によって成立してきた
TVや雑誌、新聞といった既存のメディアが変革を迫られている
(その理由は何か?)ということを読み解くのに役立つ一冊。
いいかげんな紹介はもういいよ、この本のちゃんとした内容が知りたいんだという方は
ぜひともリンクをクリックして、中身を確かめてみてください(・∀・)

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